「羨ましい」の感情から気づいたこと

「羨ましい」の感情から気づいたこと

こんばんは!みろくです。

今朝、トイレで力みながらスマホでとあるネット記事を読んだところ、自分の中に芽生える「うらやみ」に気づきました。

24歳の弟は、字が書けない(はずだった、怪文書を読むまでは)|岸田 奈美

この記事は、ダウン症の弟さんがいる方の素敵な記事ですが、字が書けなかった弟さんが突如「謎の怪文書」メモを残すようになり、やや意味の分からない文章の解読やメッセージに込められた思いに家族が喜ぶ様子が、楽しげに書かれています。

とても温かみのある出来事の数々に、僕も「いいね!」という思いが湧く心の片隅で、「うらやましい」思いも芽生えていることに気づきました。この感情はきっと、20代の僕だったら抱かなかっただろう感情なのです。

僕はいわゆる「機能不全家族」で育ちました。

両親の2度の離婚で母子家庭となり、水商売を営む母はほとんど家に不在という家庭環境が元になってか、「家族愛」というものがまったく分からないで大人になりました。

身体的な虐待や精神的な圧力があったわけではないので、程度こそ強いものではありませんが、未だに自分の内面に影を落としているようです。

細かい話はまた別の機会に譲りますが、家族に対しての愛情が、まるで氷山の奥底に閉じ込められてしまったかのように、自分にはまったく無関係な思いだと感じていました。

それが、気功を学ぶ中で励んだ自己浄化によって少しづつ溶け出し、親への思いやりが徐々に芽生えるようになりました。それでも、まだ家族に対する抵抗感は残っていて、今なお少しづつ回復していますが、僕にとっては人生を掛けて解決すべきテーマのようです。

現在僕の母は難病を患っており、生活に少し不自由を抱えています。周りの人々に助けられながら生活を送る母ですが、僕自身はそんな母との距離の取り方が分からずにいるのです。健康でいて欲しいし手助けもしたいのですが、どこかで気持ちにストップを掛けていて、素直に手を差し伸べることが出来ずに、精神的にも物理的にも距離をとってしまいます。20代で家を出てから、なるべく気軽に帰れないエリアを選択して、転々と引越しを繰り返していたり…。

そんな内面心理の僕が、前述のネット記事で感じた「うらやましい」という感情。これは比較感情で、自分の状況と記事内の家族とを比較した結果、”嫉妬”を抱いたようです。比較感情には、「憧れ・うらやみ・嫉妬・妬み・嫉み」などがあり、ネガティブ度合いの違いはあれど、相手と比較したことにより沸き起こる感情です。

当ブログでは、穏やかな内面心理でいられるよう意図して「比較しない」ことを推進していますので、僕自身も「あ、比較してるな」と気づき、ニュートラル思考でこの家族を祝福しようと思ったのですが、ちょっと思いとどまって「うらやましい」思いを見つめてみることにしました。

そこで気づいたことは、「うらやむ思いがあるのは、自分もこの家族のようになれると潜在意識で受け入れているからかな…」でした。

例えば、まったく自分と無関係で雲の上のような人たちに「うらやましい」という思いを抱くことはありません。少なからず、自分にも手が届く領域にあるからこそ湧き上がる感情でしょう。

つまり、僕自身の家族愛がまた少し解放されたようなのです。

最近僕は引越しをしまして、移住した場所というのは、実家へ電車1本で帰れるエリアです。亀の歩みではありますが、潜在意識に抱えていたネガティブエネルギーが浄化されてきていると実感できた一日でした。

今回は「うらやましい」という感情でしたが、もしあなたが願望にまつわる出来事で同じように「憧れ・うらやみ・嫉妬・妬み・嫉み」を抱いたとしたら、もう手が届く状態にまで実現が迫っているのかもしれないですね。

そしてもうひとつ。家族との精神的なわだかまりは自分の幸せや引き寄せを阻害するとても大きな要因です。少しづつで良いので、過去の家族を許していくようにすると良いですよ。僕も頑張ります。

「羨ましい」の感情から気づいたこと

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次